尾張名所図会には、庄内川に架かる枇杷島橋、名古屋城下の亀尾天王社祭礼、津島の牛頭天王神社など、江戸期の繁栄と天王信仰の賑わいが描かれています。
                                                                                                                
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枇杷島橋は元和8年(1622)に完成。
東西二つの橋を持ち、大橋は七十間(約129m) 川のなかの中島でつなぎ 小橋は二十七間(約50m)ある日本で最大級の橋でした。 

絵図後方に名古屋城も描かれており、当時の美濃路を往来する多くの人達から町の繁栄を伺い知る事ができます。

                                                              
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亀尾天王社の創神は延喜11年(911)といわれ、名古屋城築城の折に移転する予定でしたが「天王社は移してはならぬ」との御神託があり、城内三の丸にそのまま残されました。絵図には天王祭が盛大に執り行われていた様子が描かれています。
その後、明治9年(1876)旧藩校跡地に移転され「那古野神社」と改称しました。


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津島牛頭天王社は欽明天皇元年(540)に鎮座され、全国天王社の総本社として約三千余社の分霊社があります。
明治元年(1868)の神仏分離令により、「津島神社」と改称、祭神も牛頭天王をはずし建速須佐之男命となりました。
絵図には今も続く天王まつり(宵祭)の様子が描かれています。 


美濃路・八坂通り「天王社」(現 八坂神社)も現在地に造営遷宮を行った元禄15年(西暦1702年)頃から、祭事「山竿提灯まつり」などが盛大に執り行われるようになりました。
元禄15年とは「忠臣蔵」赤穂浪士が吉良邸へ討入り、仇討ちを果たした年でもあります。天下泰平の世の中に起こった快挙に人々は沸き返り、町中に一段の活気を与えたと思えます。